由来

戦国時代の天文二十年(1551年)、宗像大宮司氏雄の正室菊姫と母、侍女四人が家督争いに巻き込まれ山田の地で惨殺されました。
その後、殺された六人の怨霊が出没するようになり、この惨劇に加担した人たちは、祟られて死んだと伝えられています。
 怨霊を鎮めるため六地蔵を作り、増福院へ安置し、ようやく祟りが収まったという事です。
地蔵尊として祀られてからは安産子育、厄除や子供の息災、諸病平癒など霊験あらたかで、参拝する人が絶えません。

Contents Menu